『キャロル自伝』深読み Pop-Up 🗯【1-13〜】

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キャロル・キング自伝:ナチュラル・ウーマン(河出書房新社サイトへ)

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【第1部 第13章 飛び込みオーディション(自伝p81)】

●アトランティック・レコード / Atlantic Records

15歳のキャロルが飛び込みでオーディションを受けに行ったレコード会社。当時ニューヨークの西56番街(234 W56th St) の最上階にあったオフィスは、昼間オフィス、夜になると家具を壁際に追いやりスタジオに変身させていたという。アトランティックは1947年にアーメット・アーティガン(Ahmet Ertegun) とハーブ・エイブラムソンにより設立され、第一号アーティストのルース・ブラウンを始め、レイ・チャールズ、アレサ・フランクリンらと契約。1953年にはアーティガンの誘いで『ビルボード』誌のジャーナリストだったジェリー・ウェクスラー (Jerry Wexler) がアトランティックの副社長となる。アトランティックは名エンジニアのトム・ダウド(Tom Dowd) と共に、8トラックなど最新の録音機材をいち早く導入した。

●ポール・アンカ「ダイアナ」 / Paul Anka「Diana」

キャロルが当時擦り切れるまで聴いていたレコード。

●ABCパラマウント / ABC Paramount

キャロルが最初にレコード契約を勝ち取ったレコード会社。ブロードウェイ1501番地(1501 Broadway)。A&Rの責任者だったドン・コスタ / Don Costaは、スタジオ・ギタリスト出身のアレンジャー、プロデューサー、オーケストラ指揮者であり、スティーヴ・ローレンス、イーディー・ゴーメ、ジョージ・ハミルトン4世、ポール・アンカ、フランク・シナトラらを手がけた。

●スティーヴ&イーディー / Steve and Eydie

スティーヴ・ローレンスとイーディー・ゴーメ / Steve Lawrence and Eydie Gormé のボーカル・デュオ。1957年12月に結婚、各々のソロ活動と並行して、夫婦デュオとしてお茶の間で人気を博した。キャロルがABCパラマウントを訪れた1957年の秋には、まだ結婚していなかった。

【第1部 第14章 オーケストラの指揮(自伝p89)】

●アル・ゴルゴーニ / Al Gorgoni (ギタリスト)、チャーリー・メイシー / Charlie Macey(ギタリスト)、バディ・サルツマン / Buddy Saltzman(ドラマ−)

キャロルが初めて指揮棒を振ったABCパラマウントで、オーケストラと一緒にレコーディングしたミュージシャン。その後1960年代には、キャロルらブリル・ビルディング周辺でのデモ録音にも、ひんぱんに参加した。バディ・サルツマンとチャーリー・メイシーは「ロコモーション」のレコーディングにも参加している。

【第1部 第15章 初めてのシングル(自伝p91)】

●キャロルの1stシングルは「ザ・ライト・ガール / The Right Girl」b/w 「ゴーイン・ワイルド / Goin’ Wild」(1958) 。

 

 ●2ndシングルは「ベイビー・シッティン / Baby Sittin’」b/w「アンダー・ザ・スターズ / Under The Stars」(1959)

 

4曲ともCarole King『Right Girl』収録。 

【第1部 第16章 高校卒業(自伝p96)】

●この頃の出来事

1957年9月 ミュージカル『ウエスト・サイド・ストーリーが上演。1957年10月 リトル・リチャードはロックンロール引退を宣言(1962年に復活するが)。1958年3月、エルヴィス・プレスリーが徴兵。

●トム&ジェリー「ヘイ・スクールガール」/ Tom & Jerry「Hey Schoolgirl」(1957)

1958年にクイーンズ・カレッジに入学したキャロルは、同学年のポール・サイモンと出会う。彼はすでに前年11月アート・ガーファンクルとのデュオで「ヘイ・スクールガール」を全米49位のヒットとしていた。

●パッションズ「ジャスト・トゥ・ビー・ウィズ・ユー」/ Passions「Just To Be With You

大学に入ったキャロルが、同級生のポール・サイモンとカズンズを結成。ふたりで制作したデモのアレンジが初めて採用されたシングル。作曲者はマーヴ・カルフィン / Marv Kalfin 。

【第1部 第17章 ゴフィン&キング(自伝p99)】

●雑誌『トゥルー・ストーリー / True Story』

キャロルが理想の男性の写真を切り抜いた雑誌。1919年に創刊されたアメリカのロングセラー女性誌。1950年代には10代女性を対象に編集され、結婚、中絶、避妊については保守的な見解を述べていた。

●ジュリアン・ヘルヴィ『若い恋人たち』/ Julian Halevy 『The Young Lovers』

ジェリーがミュージカル化を企んでいた小説。1955年の小説で、大学生男女の恋愛と、妊娠によって引き起こされる苦難を描いている。1964年にはピーター・フォンダ主演で映画化された。

●ミッキー&シルヴィア「ラヴ・イズ・ストレンジ」/ Mickey & Sylvia「Love is Strange」(1956)

キャロルとジェリーが初めて共作したときに見本にした曲。

●ミッキー&キティ「キッド・ブラザー」/ Mickey & Kitty「Kid Brother」(1959)

キャロルとジェリー作曲による初のレコード。シングル「Ooh Sha La La」(Sedaka&Greenfield作)のB面曲。

 

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