Carole King Day By Day Monthly(2月〜)

キャロル・キングってだれ?

米ポップス史を掘り下げる━キャロル・キング自伝深読み

【Carole King: Day By Day ーFebruaryー】

キャロルの誕生日(1942/2/9)がある2月は始まりの月。そして作曲家パートナーだった元夫ジェリー・ゴフィンの誕生日(1939/2/11)、ゴフィン&キング作ドリフターズ「Some Kind of Wonderful」発売(1961/2)、同「Up on the Roof」発売(1963/2)、キャロルも参加したジェイムス・テイラーの米デビュー・アルバム『Sweet Baby James』発売(1970/2)、キャロルの大ヒットアルバム『Tapestry』発売(1971/2/10)、同『Really Rosie』発売(1975/2)、グラミー生涯功労賞受賞(2012/2)、ミュージカル『Beautiful』ロンドン上演開始(2015/2)、『Beautiful』がグラミー最優秀ミュージカルシアター・アルバム受賞(2015/2)、そして弟リチャードが死去・享年66歳でした(2015/2/25)。

そして『キャロル・キング自伝』日本版が2013年2月に刊行。

 

 【Carole King: Day By Day ーMarchー】

3月は、キャロルの人生の転機となった月。17歳のとき、セカンド・シングル「Baby Sittin’ / Under the Stars」をリリースし、のちに夫となるジェリー・ゴフィンと初めて共作した「Kid Brother」がMickey & Kittyによってレコーディングされたのが1959年3月。ふたりの長女ルイーズ・ゴフィンと次女シェリー・ゴフィンを出産したのは1960/3/23と1963/3/3。1968年3月にはジェリーと別れ、NYからLAのローレル・キャニオンに移住し、初のソロ・アルバム『Writer』をレコーディング。キャロルの金字塔『Tapestry』がグラミーで4部門受賞したのは1972/3/14のことだった。2人目の夫リック・エバースがドラッグで死亡したのは1978/3/21。

1990/3/7-10には待望の初来日公演を行い、同じく来日していたポール・マッカートニーと日本で再会している(自伝p440)。

 

 【Carole King: Day By Day ーAprilー】

4月は、キャロルにとって目覚めの月。13歳だった1955年4月、アラン・フリード主催の「Easter Jubilee」公演を地元ブルックリンのパラマウント劇場に観に行き、ロックに目覚めます。それから7年後、作曲家となったキャロルが作った「Don’t Ever Change」「Sharing You」が海を渡って英リバプールに届き、まだ無名のビートルズがライブでカバー(1962年4月)。1971年4月には『Tapestry』からのちに全米1位となる「It’s Too Late」がシングル・カットされました。また私生活ではジェリーと別れたのち1968年4月にベーシストのチャーリーと再会し、1974年4月23日には2人にとって第2子となる長男を出産します。 

1994年4月には役者として初のブロードウェイの舞台に立ち、1998年4月14日にはNYでアレサ、セリーヌ、グロリア、マライアらと共にコンサート「Divas Live」に出演。2010年にはジェイムス・テイラーとの「Troubadour Reunion」ツアーのため来日し、4/14,16日本武道館、4/17パシフィコ横浜で公演。そして、キャロルが10年かけて執筆した『キャロル・キング自伝 ナチュラル・ウーマン』が2012年4月10日に米発売され、ベストセラーに!

 

 【Carole King: Day By Day ーMayー】

5月は、キャロルの才能が認められた月。16歳だったキャロルが自らレコード会社に売り込み、自作曲「The Right Girl」(B面 Goin’ Wild, ABCParamount 45-9921)でシングル・デビューしたのは1958年5月。ヒットはしなかったけれど、これが事実上”シンガー・ソングライター” としてのデビューとなるのです。それから12年の間には、夫ジェリー・ゴフィンと作曲チームを組んで数々のヒット曲を生むも、ビートルズら英国勢の人気に押されて低迷し、ドラッグに溺れる夫と離婚、など人生の起伏がありましたが、1970年5月にはファースト・アルバム『Writer』を発売、正真正銘のシンガー・ソングライターとして世に出ます。同アルバムに収録された「Up On the Roof」はキャロルの盟友ジェイムス・テイラーのライブ定番曲となり(1979年5月にはジェイムスがシングル・カット)、またキャロルのセカンド・アルバム『Tapestry』に収録された「君の友だち」は、ジェイムスがカバーして1971年5月にシングル発売、全米1位の大ヒットになっています。もうひとつ、1974年5月には、ロック・バンドのグランド・ファンク・レイルロードが「ロコモーション」をカバーして見事全米1位に。

2010年5月7日からは、ジェイムス・テイラーとのTroubadour Reunion全米ツアー開始。その後も、2012 年5月15日にはBMIアイコン賞受賞、2013年5月21日にはGershwin賞受賞と、キャロルの功績はレジェンドとして讃えられています。

 

 【Carole King: Day By Day ーJuneー】

6月は、キャロルにツキが回ってくる月です。全米1位に輝いたリトル・エヴァの「ロコモーション」は1962年6月8日発売。全米3位 になったモンキーズの「Pleasant Valley Sunday」は1967年6月10〜11日にレコーディング 。ビートルズが英BBC番組『Pop Go The Beatles』で「チェインズ」を演奏 したのは1963年6月25日でした。また1970年6月には、ジェイムズ・テイラーのツアーにピアニストとして同行していたキャロルが、本番直前にソロで歌うように言われ、ソロ歌手としての自信を獲得。翌年6月18日にはNYカーネギーホールでソロ・コンサートが実現し、翌日付けの全米チャートでは『Tapestry』が全米1位、その後15週間1位を維持するのです。2014年6月8日にはキャロルの自伝ミュージカル『ビューティフル』がトニー賞で2部門受賞。そして2014年6月19日、最初の夫で、共に数々のヒット曲を生み出した作曲パートナーのジェリー・ゴフィンが死去、75歳でした。

 

 【Carole King: Day By Day ーJulyー】

7月は、キャロルの音楽が人々のもとに届く月。作曲家として活動していた60年代、珍しく自分で歌ったシングル「It Might As Well Rain Until September」が1962年7月発売、アール=ジーンが歌った「I’m Into Something Good」は1964年7月に全米ヒット圏内に突入、同じく7月にはハーマンズ・ハーミッツが「I’m Into Something Good(朝からゴキゲン)」を録音し、全英で大ヒットさせています。1967年7月にはモンキーズの歌った「Pleasant Valley Sunday」が発売され、1971年7月にはジェイムス・テイラーが歌った「You've Got A Friend(君のともだち)」が全米1位に。どれも、キャロルが作曲しています。

1973年7月15日にはモントルー・ジャズ・フェスティバルに出演(DVD発売中)、2004年7月にはリヴィング・ルーム・ツアーを開始し足かけ4年かけて全米・豪・日本を回り(DVD発売中)、2016年7月3日には英ハイド・パークに6万5000人動員して『Tapestry』全曲演奏コンサートを開催(DVD発売中)、2017年7月〜8月にはキャロルの自伝ミュージカル『Beautiful』が日本キャストで帝国劇場で上演されました。

 

【Carole King: Day By Day ーAugustー】

8月は、キャロルの思いが実る月。1959年8月30日、17歳のキャロルは大学で出会い一目惚れしたジェリー・ゴフィンと結婚します(ちなみにこれが人生4回の結婚のうち1回目)。ジェリーとキャロルは作曲パートナーとなり、「ゴフィン&キング」の名で60年代にヒット曲を連発。そんなゴフィン&キングを目標にしていたビートルズが、全米ツアーのためNYを訪れ、キャロルとWarwick Hotelで対面したのは1965年8月のことでした。また8月はコンサートの月。『Tapestry』が全米1位の座に居座っていた1971年8月19日にはLAのGreek Theaterでバリー・マンをゲストに迎えてコンサート、そして1977年はシンプル・シングス・ツアーで、1989年はシティス・トリート・ツアーで、2004年、2005年はリビング・ルーム・ツアーで全米をツアーし、キャロルの音楽を全米に響かせていたのでした。

 

【Carole King: Day By Day ーSeptemberー】

9月は、キャロル飛躍の月。1947年9月、5歳のキャロルは幼稚園で優秀だったことから、いきなり小学校2年生に「飛び級」入学します。1957年9月にはNYのアトランティック・レコードに飛び込みでオーディションを受け、名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーとアーメット・アーティガンに「才能がある、ソウルフルだ」と太鼓判を押され、同じ月にパラマウント・レコードとソロ契約、15歳のことでした。その後作曲家として活躍するキャロル。1964年9月にはハーマンズ・ハーミッツがレコーディングした「I’m Into Something Good(朝からゴキゲン)」を全英で大ヒットさせ、1967年9月にはアレサ・フランクリンのために作曲した「Natural Woman」がリリース、全米8位の大ヒットに。また1969年9月には、ザ・バーズがレコーディングした「Wasn't Born to Follow」が、大ヒット映画『イージー・ライダー』の挿入歌としてシングル発売されています。

私生活でも、1970年9月6日には2人目の夫でベーシストのチャーリー・ラーキー(23) と結婚し、1978年9月には4人目の夫となる男性とアイダホの温泉地で劇的な出会いを果たす(12年後に離婚)など、飛躍するキャロル。しかし2001年9月11日、その日発売予定だったアルバム『Love Makes the World』は、全米テロの勃発により延期されました(9月25日リリース)

 

【Carole King: Day By Day ーOctoberー】

10月は、キャロル小休止の月。 とはいえ自身の作品は世間で脚光を浴び続けます。1968年10月にはキャロルと夫ジェリー・ゴフィンが作曲したモンキーズの「Porpoise Song」が、翌月封切られるモンキーズ主演映画『HEAD』のテーマ曲としてリリース。1971年秋はキャロルの名盤『Tapestry(つづれおり)』が全米大旋風を巻き起こしていた時期で、10月2日にはイギリスでもライブ番組『Carole King in Concert』が放送、そして同日、15週間全米1位に居座っていた『Tapestry』がついに1位の座をロッド・スチュワートの『Every Picture Tells A Story』に明け渡します(それでも2位)。1972年10月にはソロ4作目『Rhymes & Reasons(喜びは悲しみの後に)』発売。1986年と1989年の10月には娘Sherryに孫が生まれ、44歳にしてキャロルはグランマになりました。2001年10月21日には、マイケル・ジャクソン主宰の9・11テロ被害者救済コンサート「United We Stand 2001」に出演。そしてキャロル・キング・ミュージカル『ビューティフル』が初上演されたのは2013年10月サンフランシスコでした。翌年からNYブロードウェイで上演され、トニー賞受賞などの栄冠を授与されながら2019年10月29日にブロードウェイでの幕を下ろします。

 

【Carole King: Day By Day ーNovemberー】

11月はキャロルのヒット曲芽生えの月。

1960年11月には、彼女に初の全米1位をもたらす「 ウィル・ユー・ラヴ・ミー・トゥモロー」が発売されています。2年後の11月にはスティーブ・ローレンスが歌って全米1位とした「ゴー・アウェイ・リトル・ガール 」や、ビートルズがカバーしたことで広く知られるようになったクッキーズの「チェインズ」が発売。どれも当時の夫とタグを組んだゴフィン&キングの作品で、ビートルズはこの時期彼らの楽曲をよくカバーしていました。1970年、シンガーソングライターとなったキャロルがジェイムス・テイラーのトルバドール公演の前座を務めたのは11月24〜30日。3年後の11月24日には、自身の単独コンサートでクロスビー&ナッシュをゲストに迎える躍進ぶり。

1975年11月には後の夫となるRick Eversと出会い、この時期からキャロルはアイダホの大自然生活に導かれていきます。1978年11月からの3年間は、次の夫となるRick Sorensenと共に冬の時期の約5ヵ月間をキャンプ場で生活するように。

2007年11月上旬には来日して、大阪城ホールで「3 Great American Voices」出演、さいたまスーパーアリーナ、日本武道館で単独公演、その後11月28-30日にはLAのトルバドールでジェイムス・テイラーとのリユニオンコンサートを行っています。2008年11月にも来日し、Bunkamuraオーチャードホール、大阪厚生年金会館 、名古屋センチュリーホール、東京国際フォーラム、神戸国際会館こくさいホールでコンサート。そして今年2020年11月には日本キャスト『Beautiful』帝国劇場で再演されます。

 

【Carole King: Day By Day ーDecemberー】

12月は、出会いの月。

まだシンガーとして無名だった1969年12月、LAのピーター・アッシャー宅で、シンガー・ソングライターとして芽を出そうとしていたジェイムス・テイラーと再会します。この場でジェイムスの2ndアルバム『Sweet Baby James』のレコーディングに誘われ、12月8日〜17日スタジオ入り。そしてジェイムスのツアー・メンバーとなり、翌年12月19日には母校のクイーンズ大学で演奏します。翌1971年にはキャロル自身のアルバム『Tapestry』が全米1位の大ヒットになるわけですが、同年12月にはそれに続く新アルバム『Music』を発売(これも全米1位)。また直後の12月31日には、2人目の夫チャーリーとの間の第一子Molly(キャロルにとって三女)を出産し、幸せをかみしめます。

それから何度か離婚するキャロルですが、彼女はいつだって出会いに前向き。1990年12月には21歳年下の恋人ができて、6年間付き合います。

2010年12月22日には、キャロルの良き理解者だった母ユージニア死去。2012年12月にはハリウッド・ウォークオブフェイム殿堂入り。2015年12月にはケネディ・センター栄誉賞受賞。

 

【Carole King: Day By Day ーJanuaryー】

1月はブレイク前夜。水面下でキャロルの音楽が流行し始めます。

夫ジェリー・ゴフィンとの作曲家チーム、ゴフィン&キングとして作曲し始めて2年を経た1961年1月30日、シュレルズのために書いた「Will You Love Me Tomorrow」がついに全米1位に上りつめます。翌1962年1月1日にはイギリスで、まだ無名のビートルズがデッカ・レコードのオーディションでゴフィン&キング作品「Take Good Care of My Baby」を演奏。その翌年イギリスでブレイクしたビートルズが、BBC局の番組でゴフィン&キングの「Chains」「Keep Your Hands Off My Baby」をカバーしたのも1月でした。

1968年にNYからLAへ活動拠点を移したキャロルは、69年にLAのピーター・アッシャー宅でジェイムス・テイラーと再会し、お互いの音楽性に惹かれ合います。LAのA&Mスタジオで歴史的名盤『Tapestry(つづれおり)』 をレコーディングしたのは1971年1月の3週間、ジェイムス・テイラーも参加し、3時間ずつのレコーディング・セッションを5回行って完成させました。1/27にはローレルキャニオンの自宅で、カメラマンJim McCraryによる撮影が行われ、ネコのテレマコスと一緒にアルバムのジャケット撮影。この名盤が同年に全米15週連続1位に輝いたことは言うまでもありません。そして翌年1月1日には、次のソロ・アルバム『Music』が全米1位に!

2014年1月には、キャロルの人生を描いたミュージカル『Beautiful』がNYブロードウェイで上演開始。同月には「MusiCares Person of the Year 2014」表彰され、グラミー賞授賞式のステージにも立ちました。